26.05.24.ペンテコステ礼拝『聖霊が降られたことで、より明らかにされること』ロマ5:1~5
- 佐賀教会 インマヌエル
- 6月3日
- 読了時間: 2分
序〕 使徒の働き2章の後半にあるように、聖霊なる神さまが心に宿った弟子たちと、彼らの福音を聴いて聖霊が宿った人々三千人で新しいコミュニテイが生まれている。それが「教会」と呼ばれるようになった。ペンテコステ礼拝の今朝、その聖霊が降られたことで何が、より明らかにされたのか。それは「神の愛が私たちの心に注がれている」ということだった。(ロマ5:5)
本〕
Ⅰ愛は抽象的か?
「神の愛がよくわからない」と思える時があるかもしれない。愛が抽象的ならば、そもそも「信仰」も見えない世界のこと。「恵み」「喜び」「希望」といったことも抽象的に聞こえるかもしれない。でもこれらの単語全部、今日のロマ5章に書かれていた。「愛」が抽象的ではなく現実味を帯びた話になるのは、自分が誰かから愛されていたり、人を愛していたりすることを思い起こす時。先ほど挙げられていた信仰の世界の話が現実的になるのは、これらのことに、あるお方が介入して下さっているから。「私たちの主イエス・キリストによって」(1)、「このキリストによって」(2)。私たちがイエスさまから愛され、私たちも愛している。両者の「関係」の話になるから、愛が漠然とした抽象的なものでなく、現実の体験の話になる。
Ⅱ愛から生まれるものは何か
「愛」とはイエスさまとの関係で育まれ、毎日のディボーションの交わりの中で深められていく。その結果、外側に現されてくるものがある。それは「品性」である。ロマ5:2~4にある言葉でいうと「練られた品性」。品性とは抽象的な話ではない。「練られた品性」の別語は「御霊の実」(ガラテヤ5:22~23)
Ⅲ愛で、イエスさまと私たちを結びつけるのはどなたか
「聖霊」である。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(5) 旧約時代からお祝いされてきたペンテコステだったが、二千年前のあの日には聖霊が弟子たちのうちに降った。でもどうしてあんなにも大胆に福音を語れたのか?それは彼らが自分たちのうちに「もう一
人の助け主」がおられること、さらに「神の愛が注がれている」ことを実感したからでは
なかったか。だからあれだけ大胆になれたし、神の驚くべきみわざも行われた。
結〕 私たちも求めよう。聖霊の満たしを。そして普段から「もう一人の助け主」の存在を
もっと感謝し、神の愛が注がれていることを実感して毎日を過ごそう。
コメント