26.04.19.聖日礼拝『苦しみを実際に通られたイエスさまが、その本当の意味を教えて下さる』マルコ8:27~34
- 佐賀教会 インマヌエル
- 5月13日
- 読了時間: 2分
序〕この世から苦しみがなくなるわけはない。救い主でさえも苦しまれた。しかし、だからこそ、イエスさまは私たちにその苦しみの意味を教えて下さる。
本〕Ⅰ苦しみが現実にあることを忘れてはならない
「わたしをだれだと言うか」と弟子たちとの問答の後、ご自分でキリストだと認められた。「それからイエスは」、受難告知をされ始めた(31)。普通に思い浮かぶ救い主は苦しみを取ってくれるヒーローかもしれない。しかし真の救い主はむしろご自分も「多くの苦しみを受
け」ることを宣言され、ご自分に従ってくる者も同じように十字架を負う必要があること、この世に苦しみが現実にあることを私たちに教えられた。
Ⅱ苦しみを認めたがらない私たち
受難告知をされたイエスさまをペテロは受け入れられず、脇にお連れしていさめた。そして十字架を前にしても三度イエスさまを否定した。これは苦しみというものを認めたがらない私たちと似ている。誰もが、苦しみたくないし、まして自分の十字架なんて負いたくもない。
Ⅲ苦しみの本当の意味を教えて下さるイエスさま
ペテロをイエスさまは本気で叱られた。あそこで叱っておかなければ、ペテロはずっと「神のことを思わないで、人のことをもって」しまい続ける。しかも「あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます」(ヨハネ21:18)というような主が望まれる彼の人生を歩めなくなる。だからペテロに対してイエスさまは「わたしも苦しみを避けないで向き合った。だからあなたも避けずに、自分の十字架を負ってわたしに従って来なさい。」とおっしゃられたのだ。
結〕私たちがこの世で味わう苦しみは決して小さくないことを神さまはご存じである。イエスさまご自身、実際そこを通られたから。そして苦しみは神からの罰ではなくて、むしろ神の愛をより深く知り得るチャンスになることをイエスさまはその生涯を通して私たちに教えられた。なんとなれば、人類の本当の救いは、この世で受ける自分の苦しみを避けないで真っ向から受けとめられたイエスさまというお方を信じること。それが救いになる。これからも、あの時残されたイエスさまのひと言を生涯心に留めて過ごそう。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、 自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」(34)
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