26.04.12.聖日礼拝『『イエスの復活は、私たちを明るく前進させる』ヨハネ20:1~10
- 佐賀教会 インマヌエル
- 5月13日
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序〕 町の「復興」など表現でイメージする、どん底からの再生の概念は、イエス・キリストの復活から始まっている。今朝は復活が私たちを明るく前進させることを心に留めたい。
本〕Ⅰイエスさまが復活されていなければ、キリスト教は成立しない
なぜか?復活されていなければ、イエスさまはキリストでなかったことになるから。
*ヨハネの福音書が書かれた目的(20:30,31)
①イエスが神の子キリストであること。②その事実を人々が信じるため。③信じて永遠のいのちを得るため。イエスさまがキリストであることを証明するには十字架の記録だけでは意味がない。そうであればただの人間の死に過ぎなくなるから。イエスさまは死んで終わらず、復活されたことが事実であることを証明する必要がある。もし復活が事実でなければ、私たちの宣教、信仰はむなしいとパウロも書いている。(Ⅰコリント15:14)さらには復活が事実でなければ「今もなお罪の中にいます」(同17)と書き、キリスト教が成立しなくなることを教えている。
Ⅱイエスさまの復活の物的証拠
1,墓から取りのけられていた石。(ヨハネ20:1)
*石を取りのけたのは誰だったか?
①マグダラのマリアたちではない。彼女たちは石のことを心配していた。
②二人の弟子たちではない。マリアの報告を聞いて初めて墓に走っていた。
③ローマ兵やユダヤ当局の者たちではない。彼らはむしろ復活を望んでいなかった。となると?神が石を動かし、イエスさまをよみがえらせたことになる。
2,イエスさまのからだに巻かれていた亜麻布。
イエスさまの頭を包んでいた布と亜麻布が離れたところに、そのままの形で置かれていた様子は、さなぎが蝶になる時に脱皮してその抜け殻は置いて飛んでいくさまを連想させた。
Ⅲイエスさまの復活の人的証拠
①マグダラのマリアの変化~墓の前に泣き崩れていた彼女が「私は主を見ました」と宣言している。(同18)
②イエスに愛されたもう一人の弟子~「(墓に)入って来た。そして見て、信じた」 (8)
結〕キリストの復活が事実だから、それを信じる者たちは明るく前進できる。世界にキリスト教が拡大し、いまも信じる者たちの心を平安にし、活力を与え、人生を前向きに進ませるのは、イエス・キリストが今も生きておられるからである
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