top of page

26.04.05.聖日礼拝『キリストは…よみがえられました』第1コリント15:1~2、12~20 津村貴美子師 

  • 執筆者の写真: 佐賀教会 インマヌエル
    佐賀教会 インマヌエル
  • 5月13日
  • 読了時間: 2分

〕2026年第81次年会を越え、今日は4月第1イースター礼拝の朝。キリストは「聖書に書いてあるとおりに」「私たちの罪のために死なれ」また葬られ「三日目によみがえられ」た。 もし、キリストがよみがえられなかったとしたら私たちの信仰はどうなっていただろう…。

 

本〕Ⅰ「信仰は空しく実質のないもの」となる(15:1~4)

キリストの復活は、人知では計り知れない人類史上最大の出来事だった。クリスチャンの信仰と信条は復活の真意と一心同体。故に復活の事実がなければ根こそぎ倒れ事実であれば決して揺らぐことはない。復活がなければ、キリスト教会なし・クリスチャンの存在なし・復活を記念して主を礼拝する聖日なし、となる。教会そのものの存在・クリスチャンの存在そのものが、信仰は空しくない実質のないものではないことの大きな印である。


Ⅱ「宣教は空しく信仰は空しいもの」となる(15:14、17)

宣教の御業は、キリストの罪の身代わりとしての十字架の死とよみがえりを語り、▼罪の泥沼からの過去的救い ▼日々の平凡な営みの中にあってもこの道を行けばよいとの頷きと確信が与えられる現在的救い ▼やがて御国の嗣業を受け継ぎ天国に凱旋できるという将来的な救いを語る。宣教の御業は、決して空しくない実質のないものではない。救いに与った私たち一人一人がその証人である。


Ⅲ「私たちはすべての人の中で一番哀れな者」となる(15:19)

よみがえりがなかったなら、 哀れな者の中で最も哀れな存在となるのは真実に忠実に敬虔に信仰生活を送ってきたキリスト者たちになる。が、「主を信じてきた私は哀れな者です」との言は聞いたことがない。哀れどころか霊的祝福という豊かな人生へと信仰者をいざなってくれる。

 

結〕キリストのよみがえりというこの事実により、私たちの信仰は実質の伴った空しくない勝利あるものとなる。よみがえりの主を仰ぎつつ御名を讃えながらこの道を進んでいこう。

◎今週のみことば  『しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました』(第1コリント15:20)

 
 
 

最新記事

すべて表示
26.05.31.聖日礼拝『幸いな人ルツ』マタイ5:3、ルツ1:15~18 磐田教会 山本良子師

序〕 心に乏しさを覚える者は、神の恵みを切に願う。従い続けて行くならば、人が思い描くこともなかった神の驚くべき御計画に気づくだろう。摂理の主は、すべてのことを益としてくださる。誠実なルツの姿に学ぶ。 本〕 Ⅰ熱心に求める信仰  士師記とともに混乱の時代に起こった一つの出来事をルツ記は描いている。ルツは異邦人である。彼女の誠実さが一つの家の消滅から救い出し、やがてイスラエルの王ダビデの系図に名を

 
 
 
26.05.24.ペンテコステ礼拝『聖霊が降られたことで、より明らかにされること』ロマ5:1~5

序〕 使徒の働き2章の後半にあるように、聖霊なる神さまが心に宿った弟子たちと、彼らの福音を聴いて聖霊が宿った人々三千人で新しいコミュニテイが生まれている。それが「教会」と呼ばれるようになった。ペンテコステ礼拝の今朝、その聖霊が降られたことで何が、より明らかにされたのか。それは「神の愛が私たちの心に注がれている」ということだった。(ロマ5:5) 本〕 Ⅰ愛は抽象的か? 「神の愛がよくわからない」

 
 
 
26.05.17.聖日礼拝『その存在が、生きておられるイエスの愛を物語る』ヨハネ14:10~11、20~21

序〕 「父を見せてください」とのピリポの質問に対するイエスさまの答えは「わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか」(10)だった。父なる神さまは「見る」という存在ではなく、「信じる」ことが求められるお方。 本〕 Ⅰイエスさまが、ご自分のうちにおられる父を物語る  「私たちに父を見せて下さい。」と願ったピリポにイエスさまは答えられた。「あなたは見ているよ、ピ

 
 
 

コメント


  • Facebook
  • Youtube

© 2025 インマヌエル佐賀キリスト教会 - Wix.com で作成されたホームページです。

bottom of page