26.03.22.聖日礼拝『イエスさまのご生涯の大一番にこそ』マタイ21:1~5
- 佐賀教会 インマヌエル
- 5月13日
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序〕今年は2/18水からレント(受難節)に入っていて、来週3/29から受難週に入る。そしてその日は27金から始まっている第81次年会の最終日の合同礼拝が行われる。それで一週早めて今朝は受難週初日の出来事を取り上げる。
本〕Ⅰイエスさまの大一番にこそ、用いられるのは
聖書には弱くて小さな、どこにでもいるような平凡な人々が神さまに用いられて大切な御用を果したという例が少なくない。イエスさま誕生の時はマリア。イエスさまが十字架にかかられる場所エルサレムに入られる時に用いられたのは「子ろば」だった。ろばはそれほど大きくもなく、力もない。速く走れるわけでもない。この姿は平凡な私たちの姿と似ていないか。その子ろばをほどいてご自身のために主は用いられた。私たちも罪から解放されて、「わたしのためにあなたが必要なのだ」と声をかけて下さって今がある。大一番の時に主は私たちを用いて下さる。
Ⅱイエスさまの大一番にこそ、はっきりされるのは
わざわざ子ろばに乗って来られた意味は何だったのか?ご自身は戦いのために来た王ではないこと。馬に乗ってくる王は戦の大将。しかし子ろばに乗ってくるのは?平和の君。憎しみと復讐の連鎖を終結させるために、イエスさまは十字架にかかられ、神との和解の道を開いて下さり、人との間も真の平和が実現することを示された。
Ⅲ私たちの大一番に求めることは-それはイエスさまを自分の王として迎えること。そこから本当の平和が始まる。「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。」(コロサイ3:15) 人間が考える世界平和は力の行使による鎮圧しかない。ローマ帝国という国家と皇帝という王様が世界に立てられようとしていたその時に、マリアが男子の初子を産み、飼葉桶に寝かされた。これは偶然の一致ではない。歴史を支配しておられる神のわざ。十字架にかかられて憎しみの連鎖を終わらせるという発想は神からしか生まれない。この真の王であるイエスさまを心にお迎えして、まず私自身が柔和にされ、目の前に広がる世界に出て行くことが求められている。
結〕ご自身の生涯の大一番である十字架に向かう道のりのお供としてイエスさまは子ろばを選ばれた。エルサレムに入られた時、一瞬、子ろばに人々の目が注がれたかもしれない。けれどもそのあと注目されたのはイエスさま。子ろばのことなどみんな忘れたはず。これが真の奉仕者の姿。私たちも子ろばに倣おう。
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