26.03.15.召天者記念礼拝『何が人を生かすのか-ぬくもりのある存在になるために』ヨハネ11:31~44
- 佐賀教会 インマヌエル
- 5月13日
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序〕召天者記念礼拝では、天に召された方々の信仰について語られることが多いが、今朝は故人を偲ぶご遺族に寄り添って下さる主の愛を心に留める。
本〕Ⅰ死を悲しむ私たちの隣にいて下さるイエスさま
①生後4時間で二人に抱かれたまま娘を亡くした友人ジョナスに涙を流して寄り添うヘンリー・ナーウェン。
②ラザロの死を悲しむ姉妹マルタとマリアのもとに来られて涙を流されたイエスさま。彼女たちを生かしたものは何だったか?「ラザロよ。出て来なさい。」との力強い宣言も確かに励ましになったはず。神としてのイエスさまがラザロを生かされた。しかし、彼女たちを生かしたのは何だったか?むしろひと言もおっしゃらず、ただ涙されたイエスさまのお姿ではなかったか。人は言葉を越えた「共感」に救われるのではないか。
Ⅱぬくもりのある存在になるために
どうすればイエスさまのように、悲しむ人のそばにいることが出来る人になれるのか。それは「いったい何が人を生かすのか」という大切な問いを自分事にしてしっかり考え、すぐ身近な人にその考えたことを実践してみることではないか?生活をともにしていると、つい共感よりは責めやさばきの言葉が出て来やすい。私たちは沈黙を恐れて、何かと言葉で埋めようとする。しかし悲しむ人が本当に必要にしているのは、言葉ではなくてぬくもりではないか。ラザロに対しては大声で力強く宣言されたイエスさまだったが、彼の死を悼むマルタとマリアには何もおっしゃらず、二人と一緒に泣いて下さった。この人としてイエスさまの姿に彼女たちは救われたのではないだろうか。
結〕 今朝は召天者記念礼拝をともに守ることが許された。故人を天に送ったお一人一人に対して、本当の慰めとなる言葉を私自身はかけることは出来ないと思う。
しかし、だからこそ今日のイエスさまのお姿から教えられるのは、言葉以上のものが大切なことを教えられる。ナーウェンは一緒に泣いて、ただ祈るしか出来なかったと書いていた。これからも私は「何が人を生かすのか」と問い続け、故人を偲んで集まられたご遺族の方々の慰めのためにお祈りを捧げ続けたいと思います。
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