25.8.17. 『握りしめていたものが手から離れて、心に自由が与えられる瞬間がある』Ⅱコリント3:16~18
- 佐賀教会 インマヌエル
- 2025年8月27日
- 読了時間: 2分
序〕
「うまくやろう」とする思い自体は悪くない。しかしそこに縛られてしまうと、自由
がなくなることが多い。形だけ整っていても、“いのち”がない場合がある。
本〕
Ⅰ自分でうまくやろうとする思いの限界
今日のテキスト、Ⅱコリント3章の内容は「律法」と「福音」の対比。律法自体は悪くない。律法主義が悪い。律法とは、~すべし、~すべからずという文字の世界。福音とは、「生きよ」と言って下さる御霊なる神が導かれる世界。■「うまくやろう」とばかりこだわって、律法的に形を整えることだけに縛られると、そこには “心”がなくなる。聖書も、文字としてだけで読んでいると、そこにはいのちがない。書かれている文字以上に、聖書は生きた神のことばである。神からの語りかけとして読む時、私たちは神と交わる自由が与えられる。
Ⅱ御霊なる神さまによって与えられる自由な世界
(例話)もめた役員会。牧師はすぐに解散させて、来週まで各自で祈ってくるように告げた。その次の週も役員会で意見は割れた。牧師はもう一度、来週まで祈りなさいと告げた。二週が経った役員会で、一人の役員が証した。昨日の晩、主が臨まれて「わたしを求めなさい」と告げられた。それまで自分は主でなく、正しい主張ばかりを求め、意見の異なる人を裁いていた。でもその人が悔い改めた証をした時、別の人も同じような体験をしていて、互いに和解できた。あの時の役員会には、御霊が働かれて自由が与えられたのではないか。
Ⅲ私たちが生きるために求め続けなければならない正解
福音は「生きよ」と私たちに語って下さる。生きるために私たちはどうすればよいか?「人が主に立ち返るなら」(16)とある。 もめる役員会を解散させて、牧師が彼らに祈らせたのは何故か?それぞれが主に目を向ける必要に気づかせたかったのではないか。主に目を向けるなら覆いは除かれ、自由な御霊の働きを体験できる。
結〕
「文字は殺し、御霊は生かす」(6) こうあらねばという思いばかりに縛られていると本人が生きていかない。御霊によって人は生かされ、自由を体験する。
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