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25.12.21.クリスマス・キャンドル礼拝『ともにいて下さる神・救い主イエス』ヨハネ1:1 マタイ1:23 申命記31:8

  • 執筆者の写真: 佐賀教会 インマヌエル
    佐賀教会 インマヌエル
  • 1月21日
  • 読了時間: 2分

 引用した三つの御言葉に共通していたひと言は「ともにいる」。朗読した順で、

先週と同じタイトルの「ともにいて下さる神・救い主イエス」ということを心に留めたい。

                                                              

本〕

Ⅰヨハネ1章1節

なんとかイエスさまのことを伝えたいと思った時に、ヨハネは「ことば」という表現を用いた。

■「ことば」とは何か?それは自分の心のうちにあるものを外に出す時に用いるもの。それによって私たちはその人自身を知ることが出来る。

■神がご自分の思いを外に出された時、いつでもイエスという存在になっていた。いわば「歩くことば」、それがイエスさまだった。神さまはイエスさまを通して私たちとともにいることが出来なさった。                                 

 

Ⅱマタイ1章23節

イエスさまの存在自体が「インマヌエル=神が私たちとともにおられる」を体現していた。なんとなれば、私たちとともにいるために、神ともあろうお方が私たちと同じ人間の姿でこの世に来て下さった。天から見下ろして「哀れな奴め、救ってやろう」と片手を動かしただけの神ではなく、人となって人生を歩み、私たち人間の痛みを体験して、一緒に泣いて立ち上がって下さった。

                                            

Ⅲ申命記31章8節

これはモーセの遺言的なことば。後ろからエジプト軍、前は海という絶体絶命の時、神さまは「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい」(出エジプト14:13)と語られた。そして道を切り開いて下さり、海の真ん中の渇いた地面を民たちは歩いて救われた。この出来事を知っているモーセが人生最期に、神について述べた。「主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(申命記31章8節)

 

結〕 

将来のことを考えると不安という人が多い。でも神が私たちの先に進んで道を開いて下さる。しかもはるか先に行かれて遠くに見えなくなるというのではなく、「主がとともにおられる」という。この神が私たちを見放さない。感謝

 
 
 

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