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25.12.07.聖日礼拝 アドベント第二週『主は来ませり!』テトス 2章11~14節 津村貴美子師              

  • 執筆者の写真: 佐賀教会 インマヌエル
    佐賀教会 インマヌエル
  • 2025年12月25日
  • 読了時間: 2分

〕 2025年クリスマス・アドベント(待降節)の第2礼拝の朝。

  救い主イエスのご降誕という神の恵みは、一体何処へ現れたのだろう。

 

本〕Ⅰ不敬虔とこの世の欲(2:12)が渦巻く中へ。主は来ませり!

神は独り子イエスを宿す場所として寒村ベツレヘム(パンの家の意)の家畜小屋の飼い葉桶を選ばれた。飼い葉桶とは汚く汚れた家畜の餌箱。それは他を愛することも理解することも慰めることもできない汚れた罪だらけ(ロマ2:29~参照)の人の心の象徴。そのような人の心の中へ主は来ませり!貧相な小さな寒村(貧しい心の人間)ベツレヘムが文字通り豊かなパンの家になる。

 

私たちのためにご自分を献げられた(2:14)カルバリの十字架へ。主は来ま

せり! 

カルバリとは主イエスが十字架につけられた丘の名。そこは別名「されこうべ・頭蓋骨」という処刑場。人間の罪の市場であり人間の限界破局破滅のシンボルがカルバリである。しかし、このカルバリの十字架へ、人々を罪から贖い救い出すために、主は来ませり!救い主イエスによって克服されないカルバリはない。クリスマスの出来事は、十字架へのプロローグ(序章)である。

 

すべての人に救いをもたらす神の恵み(2:11)が私にも。主は来ませり!   

神の独り子主イエスの誕生という2000年前のクリスマスの出来事は、時空を遙かに超越して働いている神の恵みである。今を現代を生きる私たちの心と生活の只中にこの神の恵みは注がれている。私の心にも、主は来ませり!心を開いて主をお迎えしよう。

 

結〕 (♪イ267番「なが心に住まわんと」の3節) 

友よ 救い主に行け 主は御手を伸ぶ イエスを受けなば 暗きは 内より消えなん 

今まで主はいくたび なれを忍びしぞ 今またイエスは待ちたもう 心開くを♪

 心を開こう!私の心にも、主は来ませり!ハレルヤ!

◎「実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです」 (2:11)

 
 
 

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