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25.11.02.聖日礼拝『神は、あなたを絶対に見捨てない』申命記31章1、2,6節

  • 執筆者の写真: 佐賀教会 インマヌエル
    佐賀教会 インマヌエル
  • 2025年11月13日
  • 読了時間: 2分

〕大事な局面で私たちを神さまは見放すことはなさらない。特に今日、厳しい現実

の中にある方々へのメッセージとして「あなたを見捨てることなど絶対にない」と

神さまが語って下さっている。今朝は「主はあなたを見放さず、あなたを見捨て

ない」と語ったモーセにとって、この言葉がどんな意味を持っていたかを学ぶ。

 

本〕Ⅰ人生の最期の告白

百二十歳の自分の限界を悟って、モーセが最後の力を振り絞って語った遺言的メッセージのまとめが「申命記」。人生を振り返りながら、特につらかった荒野の40年を思い出した時、彼から出てきたのは不平不満ではなく、「主はあなたを見放さなかった」との言葉だった。


Ⅱ彼自身の体験的事実

このひと言は、モーセの思想でもなければ哲学でもなかった。彼が自分で体験したことだった。だから民たちにまっすぐ語ることが出来たであろうし、聞く者にも説得力を与えた。■私たちにとって体験的事実となっているものは何か?「みことば」ではないか。客観的真理として学んできた「みことば」が体験的事実となった時、人は変わる。私たちは体験したみことば、そして生きておられるイエスさまを次世代に継承していく必要がある。モーセは民たちに「みおしえ」の継承を訴え、「これは、あなたがたにとって空虚なことばではなく、・・・いのちであるからだ。」(32:47)と励ました


苦しみと疑い中から与えられた結論

順風満帆では決して出て来なかったひと言。私たちは失望落胆し、神を疑う。モーセも例外ではなかったと聖書に記されている。「燃える柴を見て、召された時、私は無理ですと言いましたよね。でも、あなたがともにいると約束して下さったから出てきたのに、いま、あなたはどこにおられますか?」と訴え、怒り、泣いたはず。でも百二十年の人生を振り返り、荒野の40年を振り返った時、確信をもって民たちに「主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と語ることが出来た。

 

結〕 「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と私たちの主は十字架上で叫んで下さった。その十字架を全うしてイエスさまは今も生きて私たちに語りかけて下さる。「主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない」。苦しい現実問題を抱えつつも十字架を見上げて乗り越えよう。

 
 
 

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