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25.09.28.第53回九州聖会 合同礼拝『信仰とは、神に委ねること』ローマ人への手紙 4章1~5節 荻野倍弘師

  • 執筆者の写真: 佐賀教会 インマヌエル
    佐賀教会 インマヌエル
  • 2025年10月8日
  • 読了時間: 2分

〕 九州南北教区にある教会の各地と荻野師ご自身との関係。

  会場教会となった佐賀教会は1966年設立。ご自身誕生の年。

 

本〕Ⅰすべての始まりは神さまとの出会いから

*BTC(聖宣神学院)入学試験での出来事。説教を聴かれる他の受験生全員がノートに書き始める。ご自身は持っていない。もう入学は無理だとあきらめた時、その説教箇所の御言葉が心に響く。「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20:22)“そうだ。自分の至らなさや無力さは関係ない。こんな者だけれども、聖霊にゆだねればよいのだ!” 

   

*ロマ4:2 神の御前では私たちの行いは誇れるものではない。アブラハムも、ただ神に召されたから出発したに過ぎなかった。もともとハランという偶像の町に住んでいた彼。なぜ神に選ばれたのか、理由はわからない。ただ神のあわれみ。私たちは原因・理由を求めたがるし、そこに遡る。それで因果応報に悩み、祟りだと思って先に進めない。

   

*ヨハネ9:1~5 生まれつき盲人の過去にいっさいふれず、神のわざが現れることのみを語られた。イエスさまは過去にこだわらずに、私たちを新しくして下さる。すべてはこのお方との出会いから始まる。

 

Ⅱ信仰とは素直に従っていくこと

何の働きもない、むしろ不敬虔な、こんな自分でも主イエスを信じるなら神が義と認めて下さる。そのように素直に信じて従っていく。その時に、私たちは救われる。生まれつき盲人も、何の働きも出来なかった。でもイエスさまを信じて素直に従った時、救われた。

 

 

結〕 年を取るとき、私たちはいろんなものを手放していく。そこには寂しさや悲しさも伴う。しかし、キリスト者にとって手放すとは、ゆだねること。これから先も、自分を救って下さった神さまにすべてをゆだねていこう。

 
 
 

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