25.09.21. 聖日礼拝『互いに名前を呼び交わす関係が、これからも永遠に続いていく』詩篇116:1~7
- 佐賀教会 インマヌエル
- 2025年10月2日
- 読了時間: 2分
序〕本篇を読んでいくうちに、神と自分との関係がいかに深く、絶対に切り離せない
ものとされていることに気づかされる。今朝は作者が意識した三つを学ぶ。
本〕Ⅰ死
「死の綱が私を取り巻き」(3) 「私のたましいを死から・・・救い出し」(8)
「主の聖徒たちの死は、主の目に尊い」(15) *作者にとって「死」は遠い将来のことではなく、いつ何時、どうなってもおかしくない現実のこととして意識されていた。*その原因=人間関係。「私がおとしめられたとき」(6)「人はだれでも偽りを言う」(11) 現代も変わらず、SNSで誹謗中傷が絶えず、人に死を意識させてしまうことが起こり得る。詩篇作者も根は同じことで悩んでいた。
Ⅱ神さまとの関係
死を意識するほどの現状の中で、何が彼を保ち、生かし続けたか?=神との関係。それは「互いに名前を呼び交わす関係」ではなかったか?116篇のどこからそう言えるか?神と作者は「私は主を愛する」、「主は聞いてくださる」と言える関係。この交わりの中で互いに名前を呼び合っていたと自然に想像できないか。祈りの中で私たちも「神さま」「主よ」「イエスさま」とお名前を呼ぶ。主もまた私たちの名前を呼んで下さっている。この交わりの中で「全きいこい」に戻ることが許され、(7) たましいが生かされる。(8)
Ⅲ人生の生きがい
死を意識した作者が、神さまから頂いた全きいこいによって、たましいを生かされた。そこから立ち直った彼は何を求めたか?「私は生きている限り主を呼び求める。」(2)*「生きている限り」=一生涯 「主を呼び求める」とは何をすることか? ①礼拝である。キリスト者の生涯は礼拝の生涯。一瞬、一瞬、主を呼び求めることが祈りであり、礼拝である。②そして、「主が私に良くしてくださったすべてに対し、私は何と応えたらよいのでしょう」(12)と生涯問い続け、気づかされたことを実行していく生涯。
結〕キリスト者の生涯は地上だけでなく永遠に続く。生きている間は「主を呼び求める」 しかし地上生涯が終わってからも、神さまとは互いに名前を呼び交わす関係が永遠に続いていく。そこにキリスト者の希望があり、励ましがある。
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