25.09.07 聖日礼拝『『イエスは…見ておられた』マルコの福音書12:38~44 津村貴美子師
- 佐賀教会 インマヌエル
- 2025年9月12日
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序〕 猛暑の7月8月を越えた。9月は秋の入り口。大きく深呼吸しながら、この朝、私たちの信仰の眼を主イエスご自身に向けてみよう。
本〕Ⅰこの場面の背景(マルコ12:38~)
これは主イエスがエルサレムに入京された受難週(論争の日・火)の宮での出来事である。主は律法学者との論争で彼らに一撃を加えられた。その後、献金箱の向かい側に座り(41節)人々がどのように行動するか見ておられた。座ると人の動きがよく見える。
*エルサレムの神殿には、聖所を中心に祭司の庭・男子の庭・婦人の庭・異邦人の庭があり、婦人の庭と異邦人の庭の境にある美しの門を入った所に礼拝者用の献金箱(ラッパ型の口をした13ヶの献金箱)が設置されていた。
Ⅱ主イエスの眼のつけどころ(12:43)(第1サムエル16:7参照 )
主の眼のつけどころは、 人の眼のつけどころとは全然異なる。ではどのように異なるの
か。2種類の人たち(多くの金持ちたち・一人の貧しいやもめ)の姿を追ってみよう。金持ちたちは有り余る中からホンの1部を献げた。やもめは乏しい中から(レプタとは通貨の最小単位の銅貨)生きる手立てのすべてを献げた。主の御前には数や量ではなく、どのような心で献げるかが問われる。人はうわべしか見ることができないが、主はうわべに勝って心をご覧になるのだ。
Ⅲ主イエスの評価(12:44)
主は、沢山の額を献げた多くの金持ちたちではなく、この貧しいやもめは献金箱に投げ入れている人々の中で、だれよりも多くを投げ入れました(43節)と言って一人の貧しいやもめのほうを評価された。他者と比べる必要はなく、持てるベスト・なし得るベスト・自分なりの最善を尽くせばそれでよいと主は語られる。真実さと敬虔さが伴えば良し!される。
結〕人は外の形(大小・多い少ない・結果成果)にこだわる。しかし主は、内側(動機・過程・心)をご覧になる。主の眼のつけどころが真の意味で人を生かす。◎皆は有り余る中から投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っているすべてを投げ入れた…(12:44)
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