25.08.31.聖日礼拝『『傷は、神さまからの贈り物』ヨハネ20:24~29
- 佐賀教会 インマヌエル
- 2025年9月11日
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序〕今朝は「傷」にまつわる不思議さについて学ぶ。
本〕Ⅰ私たちは傷を負って生きていく存在
傷にもいろいろある。身体的な傷、心の傷など。その傷によって痛みや悲しみを負ったはずなのに、むしろその傷を自分の身分証明、IDのように捉えている方もおられる。(例)①星野富弘さん「けがをしたおかげで、人生得した」 ②やなせたかしさん「ぼくらはみんな生きている 生きているから歌うんだ 生きているから悲しいんだ」
悲しみがある、傷があるということは、ちゃんと生き、生かされている証拠。
Ⅱ傷はその人自身を示す大切なしるし
(例)塩谷直也先生のお父さまの傷 =難聴 ご本人はつらかったはず。でも塩谷先生は「天国で父に会えるとしたら難聴の父に会いたい」という。難聴は先生にとって間違えなく自分のお父さんだと確認させる大切な傷。*イエスさまをイエスさまたらしめた傷とは何か?十字架の傷。トマスの質問「イエスさまの十字架の傷跡に自分の指と手を入れてみなければ信じない。」この言葉は不信仰からきたものか?そうではなくてトマスにとって大切な確認だったのではないか。本当は私たちもトマスのようにイエスさまの傷にもっとこだわるべきではないか?あの傷がなければイエスさまではない。そして私たちの救いもないのだ。
Ⅲその人の傷が多くの人を生かしていることもある
ペテロはイエスさまを裏切った。それは彼の傷にもなった。でも「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」とのイエスさまのお言葉どおり、ペテロは自分の傷について生涯、証し続けただろう。その証しによって多くの人が生かされたと思う。
結〕自分の傷を見せて人を救い、生かした最初の人はイエスさま。トマスに指と手でさわることで十字架の傷を確認させようとされた。トマスはあの時、「私の主、私の神」と信じて救われた。 傷のゆえに、それを負わなければ出て来ない人への愛が芽生えてくる。傷は、神さまからの贈り物。イエスさまの傷のゆえに私たちは救われ生かされている。この愛によってこれからも生かされていこう。
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