25.07.27 『聖書から教えられるとおりの神だから、私たちの毎日は救われている』詩篇65:5~8
- 佐賀教会 インマヌエル
- 2025年8月3日
- 読了時間: 2分
序〕
聖書を読んだこともなく、教会堂にも行ったことのない方に、神というお方をどう紹介するか?今朝はキリスト教の根本的な内容がメッセージのテーマ。
本〕
Ⅰ聖書が教える神とは?
詩篇65篇1節が主題聖句。「神よ、御前には静けさがあり、」 静けさとは何か?真逆の状態を想像すると、それは混乱、破壊。そういう状態を鎮め、そこから私たちを救って下さるのが神。■1節と対照的なのが7節。静けさ⇔騒ぎ。「海のとどろき、大波のとどろき」とは自然界の乱れ、秩序の崩壊、異常気象。「もろもろの国民の騒ぎ」とは、政治の不安定、国と国の戦争。全部人間がもたらした不始末。それらを鎮めて下さるのが神。9節以降には救いの神が地上を回復し、自然界を恵みで満たして下さる姿が描かれている。*聖書が教える神は人間を絶えず悩ませる騒ぎを鎮めて、無尽蔵の恵みを施して下さるお方である。
Ⅱ私たちにとって救いとは?
確かに私たちが悩ませられている騒ぎが終息することも救いに違いない。しかし人間にとって本当の救いは何か?そのような騒ぎの根本原因である、心の騒ぎの終息。これが救いである。ダビデは圧倒的な神の恵みがあると書きながら、自分の現実については「数々の咎が私を圧倒しています。」と述べている。(3)自分の罪、咎のために私たちの心は平安を失い、ざわざわと騒いでしまう。ダビデは、自分の心が罪に圧倒されていると言いながら、「しかし」と言う。「私たちの背きをあなたは赦して下さいます。」と告白する。聖書の神は「救いの神」「赦しの神」である。そして彼は神さまを「信頼の的」(5)とすると言う。ギリシャ語で“罪”(ハマルティア)日本語にすると「的はずれ」。この罪な状態から救われて、もう一度、神さまとの信頼関係を取り戻そう。これこそが私たち人類の救いである。
結〕
私たちは自分を「肉なる者」と自覚する必要がある。弱く、もろく、乏しい存在だと認め、「祈りを聞かれる方」のもとに行って悔い改めよう。そうすればイエスさまの十字架のゆえに救われる。その時、心の「騒ぎ」が収まり、全ては変わる。
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