2025.08.10 『愛が足りなかった自分が、一番気づかなければなかったこと』Ⅰヨハネ4:7~12
- 佐賀教会 インマヌエル
- 2025年8月18日
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序〕今朝は、私たち人間にとって究極のテーマである「愛」について学ぶ。
本〕
Ⅰ愛が足りないと言う前に
親が子に、子が親に、夫婦同士、あるいは教師が生徒に愛がないと、誰もが悩むことがあると思う。しかし7節に書いている。「愛が神から出ているのです。」
*だとしたら、①自分の努力で愛そうとする前に、発信源である神を知ることが必要である。②そして愛の発信源である神からすでに自分が愛されていたことを感謝しなければならない。
Ⅱ「神の愛」の示され方
愛は神から出ているとあるが、その愛はどのように示されたか? 「ひとり子を遣し、その方によっていのちを得させて」下さった。「それによって神の愛が示されたのです」(9)
* 「ひとり子」とはイエスさま。「いのち」とは永遠のいのち=神のいのち。「私の罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(10) これは十字架の愛。イエスさまを信じることで永遠のいのちを頂く。神と主を信じた者、同じいのちを持つ者同士、交わりを持てるようにされる。これが神の愛。
Ⅲ愛されている私たちに求められていること
「神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちも互いに愛し合うべきです。」(11) 互いに愛し合うことが求められているが、現実はどうか?パウロはロマ書で「互いにさばき合わないようにしましょう」と諭している。(ロマ14:13)キリスト教会の中
でさえ、ある食べ物を食べる・食べないで、信仰が強い・弱いと論争していた現実。■イエスさまは弟子たちの洗足のあと、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と命令された。 イエスさまがまず愛して下さるから互いに愛し合えるようになる。「愛は神から出ているのです」。自分へ主からの愛に気づいて感謝し、その愛で隣人を愛していく。そのようにして互いに愛し合うことが可能になる。
結〕
「いまだかつて神を見た者はいません」(12)神の愛も見えない。しかし、「互いに愛し合うなら、・・・神の愛が私たちのうちに全うされる」そこに神の国が実現する。
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